Googleから生まれた”視覚的な辞書”、イギリスのアーティストが制作-by The Verge
書きました。というよりも頑張って翻訳してみました。
書きました。というよりも頑張って翻訳してみました。
「自分でやった方が早い病」とは
■病状
・「自分でやった方が早い」という考えに陥る
■2つの発症パターン
・まわりよりも自分ができてしまうから
・相手に悪いし、お願いが下手だから
■かかる人
・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い
■病の原因
・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
・まわりの人と一緒に成長しようとしない
・基本的な教育ができていない
・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
・自分大好き人間病状が悪化すると
・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる克服できると
・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる処方箋
■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること」
・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
・育てる、任せるから見た失敗は、成長
■まわりの人をヒーローにする
・損な役回りを引き受けてみる
・目先の損を取って、長期的な得を得る
■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
・仕事は責任とセットで任せる
・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる
■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない
■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
・D(実行)の部分は部下に任せる
■あえて70点のマニュアルを作る
・残り30点は部下が自分で考える部分
・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう
(nakasatoから)
久しぶりの更新。突発的に思いついたことだけど、後々何かに活かせるかなということで
Jake Messing. Industrial Garden.
Between the Two. Mixed media on panel, 122 x 147 cm.
Migrations. Mixed media on panel, 73 x 203 cm.
We Are the Pirates. Mixed media on panel, 73 x 203 cm.
Migrations 2. Mixedmedia on panel, 73 x 203 cm.
On Tumblr: http://jakemessing.tumblr.com/
たまにインターネットのことを「虚像」だと言う人がいる。
確かに、服や本のように触れてその形を確かめることのできる「物」はインターネット上には存在しない。
いくら作っている人の顔が見えたとしても、しかも制作者と消費者との距離感がリアルな場よりも近く感じられるとしても、インターネット上ではそれすらリアルな実像ではなくデータで表される。
「形がなく、”本当は何もない”ものに惹かれるなんて間違っている」
そんな風に曲解してしまう人が現れてくるのもなんとなく分かる。
特に、物の「中」に何かが詰まっていると感じている人にとっては。
しかし、本来「物」とは、単なる媒体物に過ぎないのだ。
制作者が自分の思いを直接相手に伝えることができなかった為に、”しかたなく”、言葉を使い、技工を駆使し、「物」に乗せるのだ。
つまり、「物」とは、制作者の意図(目的地)に到達させるための単なる「道」に過ぎないということ。
日本(今)からフランス(制作者の意図)に到達する為に、船(口頭伝承)を使おうが、電車(本)を使おうが、飛行機(インターネット)を使おうが、目的地にたどり着くことが出来さえすれば、本来変わらないのである。
むしろ、インターネットが文字、画像、動画、音を駆使して、分かりやすく、飛行機のような速さで制作者の意図を伝えてくれるということは、合理的に考えれば非常に価値のあることだ(「どこでもドア」のようでさえある)。
つまり、合理的に考えて、結果の面だけを考えるとすれば、どんな道で目的地に辿り着こうが関係ない。
船で行こうが飛行機で行こうが、「物」という道路を通ろうが、「物」をショートカットして直接情報だけで伝えようが、目的地は同じ”フランス”でしかないのだから、そんなことは別に関係ないのだ。
確かに、インターネットは「物」を介在しない「虚像」に過ぎない。
しかし、そうであることが何だというのか。
価値があるのは”フランス”であって移動手段ではない。
虚像は虚像であるが、「物=単なる媒体(道路)」である以上、「虚像=悪」ではないのだから。
むしろ、本も媒体、パソコンも媒体なのだと考えると、本だってある意味虚像にすぎない。
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最近、本を買って読んだりすることに価値を見出さない人がいる。
「電子書籍だといつでもどこでも読めるのに、何で紙の本なんて買うわけ?」
でも、厚みのある紙をめくって、あのずっしりとした重みに触れながら読むのも込みで、読書は楽しいんじゃないか。
でも、こんなことを言っていると、本質以外に価値を見出す「偶像崇拝」みたいな行為をしているのかとも思ってしまう。
やっぱり、便利な電子書籍に切り替えたほうがいいのだろうか。
でも、それとは違った見方もあるんじゃないか?
例えば本の本質である制作者の意図を「目的地」とする。
それに至るための紙の本や電子書籍といった手段を「移動方法」と考える。
そして、読書という行為を「旅行」と考える。
そう考えると、途端に「移動方法」にも価値があるんだと分かる。
だって、単に飛行機に乗ってすぐに目的地に着いてしまうより、寝台列車に乗ってゆっくりと間の景色も満喫しながら目的地に向かうほうが楽しかったりする場合もあるのだから。
むしろ、速さだけを求めるなら「移動」している時間は苦痛だけど、その「移動」にも意味を持たせて価値あるものにすれば、全部が楽しくなってハッピーじゃないか!
それなら、本の重みを”あえて”感じながら読書を楽しむというのも、そして手段にも目を凝らしてみるっていうのも、やっぱり意味のあることなんだ。
もしかして、電子書籍で”合理的”に情報を仕入れている人も、そんな最先端の技術を使って読む楽しみに溺れてる「偶像崇拝者」なんじゃないかって勘ぐってみたくもなる。